玉造稲荷神社
緑に囲まれた静かな神社 「日本書紀」に記された玉のふるさと 玉造稲荷神社(たまつくりいなりじんじゃ)
稲倉魂命(うかのみたまのみこと)ほかを祭る。古い歴史をもつが、たびたびの兵火で記録が少ない。
慶長8年(1603)豊臣秀頼により社殿が再建されたが、大坂の陣で焼失、しかし現在残る石鳥居はそのときのものという。現地は急崖に面し、東側がひらけ眺望がよく、起伏に富む地形であった。
それを少しでも平坦化するため、寛政元年(1789)川ざらえで出る土砂を市民が運び込む「砂持(すなもち)」が行なわれた。
このときは大坂三郷はもとよりそれ以外からも、揃いの着物を着た老若男女が集まり、約1カ月も賑わったと伝える。 なお、この付近は古代勾玉などをつくった玉作部の居住地ともいう。
社伝によれば垂仁天皇18年(紀元前12年)に創建され、当時は比売社と称していた。
蘇我氏と物部氏の戦いの際、蘇我氏方の聖徳太子がこの地に布陣し戦勝を祈願したという伝承がある。
戦国時代の戦火により荒廃し、慶長8年(1603年)に豊臣秀頼により社殿が再建された。
現存する鳥居は当時のものである。
元和元年の大阪夏の陣で社殿は再び焼失し、元和5年に徳川幕府の大坂城代や氏子らの寄進によって再建された。社地は元々は急崖に面していたため、少しでも平坦化するために、寛政元年(1789年)、東横堀川の浚渫で出た土砂を町人らが運び込む「砂持」が行われた。
豊臣・徳川時代を通して大坂城の鎮守とされ、豊津稲荷社と称した。江戸時代には伊勢参りの出発点とされた。
現在の「玉造」の社名は鎮座地の地名によるもので、一帯は古代、勾玉などを作っていた玉造部の居住地であったという伝承がある。
昭和61年(1986年)、創建2000年を記念して境内に難波・玉造資料館が開館した。
現在の社殿は昭和29年(1954年)に造営されたものである。
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
所在地 :大阪府大阪市中央区玉造2-3-8
電話 : 06-6941-3821
アクセス:地下鉄中央線・JR「森の宮」下車 南西約500m
公式サイト:http://www.inari.or.jp
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