お守りとして杓子を授ける慣わしがある多賀大社(たがたいしゃ)

多賀大社

昭和の代表建築といわれる多賀大社では平成14年より30数年ぶりに御本殿以下諸殿舎の御屋根の葺き替えを中心とした「平成の大造営」に着手しており平成19年の竣功を目指しています。

『古事記』に「伊邪那岐大神は淡海の多賀に坐すなり」とあるのがこの多賀大社のことである。
延喜式神名帳に「近江国犬上郡 多何神社二座」と記載され、小社に列している。

「二座」とあることから、この時代から伊邪那岐命・伊邪那美命二神が祀られていたことがわかる。

社伝では、明応3年(1494年)、神宮寺として不動院(天台宗)が建立された。
神宮寺配下の坊人が全国にお札を配って信仰を広め、中・近世には伊勢・熊野とともに庶民の参詣で賑わった。「お伊勢参らばお多賀へ参れ お伊勢お多賀の子でござる」「お伊勢七度熊野へ三度 お多賀さまへは月参り」との俗謡もある。

近江国が交通の結節点だったことも、隆盛の理由であろう。なお俗謡にある「お多賀の子」とは、伊勢神宮祭神である天照大御神が、伊邪那岐命、伊邪那美命両神の御子であることを指す。

特に長寿祈願の神として信仰された。東大寺再建の事業を行っていた80歳の俊乗坊重源が、事業の成功祈願のため伊勢神宮に参籠していると、夢の中に天照大神が現れ「事業を成功するために寿命を延ばしたいのなら、多賀神に祈願せよ」と告げた。

重源が多賀社に参拝すると、「莚」の字に虫が食った柏の葉が飛んできた。「莚」は「廿延」(廿は二十の意)と分解でき、「寿命が二十年延びる」と読める。

20年後、重源は東大寺再建事業を成し遂げ、当社へのお礼参りのとき、境内の石(現在は「寿命石」と呼ばれる)に座り込むと、眠るように亡くなったという。

また、豊臣秀吉が「3年、それがだめなら2年、せめて30日でも」と母の延命を祈願し、それが成就したとして1万石を寄進、社殿を造営した。境内の太鼓橋は「太閤橋」とも呼ばれる。

明治4年(1871年)に県社兼郷社、明治18年(1885年)に官幣中社となり、大正3年(1914年)に官幣大社に昇格した。

昭和22年、それまでの「多賀神社」から「多賀大社」に改称した。

2002年(平成14年)から「平成の大造営」に取り掛かり、2005年現在、一部は竣工している。

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』


所在地 :滋賀県犬上郡多賀町多賀604
電話  :
アクセス:東海道新幹線米原駅から近江鉄道本線乗換え、高宮駅で多賀線乗換え。多賀線終点の
多賀大社前駅から徒歩10分。

公式サイト:http://www.tagataisya.or.jp/
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